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お知らせ

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2018.9.30

Media

手紙寺の取り組みが「上海第一済経」に 掲載されました。

2018年 手紙寺の取り組みが、中国で最も視聴者の多い「上海第一済経」というメディアに
掲載されました。

以下、日本語と、中国語の原文を記載いたします。

【日本語原文】

亡くなられたあなたに書く1通の手紙|100人の魅力のある人ー井上城治氏

2017年の日本のグッドデザイン・ベスト100で4495点の作品のうち、1つの作品が印象深いものだった。
それはその作品のプランナーが一人の寺院の住職というばかりではない。より意義深いのは、この作品を最後に使用する対象者が今を生きる私たちではないと思われるからだ。

日本の證大寺(東京都江戸川区)住職、井上城治氏と建築家の押尾章治氏が共同でデザインした寺院礼拝施設「手紙処」と新しい二人だけの墓「&(安堵)」が、2017年にそれぞれグッドデザインの最優秀の宗教建築賞とグッドデザイン賞金賞を受賞した。「手紙処」の設計コンセプトは亡くなった人のために手紙を書き、書簡の方法を通じて墓参りの目的をかなえる祖先を祭る場所ということであり、「&(安堵)」は、日本の葬儀の伝統を破って自由に一緒に合葬の相手を選択できる二人用の墓である。

井上城治住職は「手紙処」と「&(安堵)」を生み出した人である。彼は自分の寺に「手紙寺」という一風変わった別称を付けた。その本院は東京都江戸川区春江町にある。「手紙処」と「&(安堵)」のこれら2つの作品は千葉県船橋市の寺院墓地の中にあり、そこで実際に使われている。

日本では明治時代の廃仏毀釈によって、今の日本の仏教の僧侶は結婚して子供をもうけ、飲酒や食肉が可能になった。井上住職が信仰する浄土真宗は、伝説では12世紀にはもうこれらのタブーを率先して破っているという。そこで、寺院は一種の家族産業へと変質し、住職の職位も一代また一代と男性の一族が世襲していった。1997年、23歳だった井上城治氏は亡くなった父親を継いで證大寺の第20代の住職になった。当時の日本は平成の時代になったばかりで、バブル経済は崩壊し、失業者も増加し、1年間の自殺者数もにわかに倍増していた。江戸時代に確立された檀家制度(江戸時代では、武士でも平民でも、だれもが特定の寺院に属して檀家となる必要があり、寺院は檀家のあらゆる葬儀法事、墓地管理などを一手に掌握した。檀家制度の核心は、国民一人一人が仏教徒になる義務があり、同時に家族と祖先を崇拝することを強調し、檀家を子々孫々まで寺院の経済的支援者とし、これによって寺院の経営と存続の基礎を固めることにあった。)は歴史という大きな流れの中で保たれてきたものの、寺院と寺院の経済的支援者である檀家の間との関係はもはや以前のようではなくなり、信徒と布施の数は減少し、寺院の生き残りの難題が若い井上住職の肩に圧し掛かった。幸いなことに、米国でMBAを取得した親戚の一人が手助けして寺院を救ってくれ、この信仰が崩壊した時代に寺院をより企業化されたマネージメントへと導く道が開かれた。
しかし、寺院の収益が赤字から黒字へと転換するのを見ても、このような好転が井上住職を喜ばせることは決してなかった。「これは私が求めている寺院ではないと感じました」と井上住職は語る。「お寺が会社のように変わって、系列の別院も経営は安定してきた。すべてが上手く回っていたが、私は逆にますます逃げ出したくなった」。そこで、悩んだ彼は亡くなった父に手紙を書き始め、この時に幼かったときに父が残した「贈り物」のことも思い出した。
9歳の時、父は井上氏に「手紙を一通、お寺の本堂の屋根の上に隠しておいたから、私が亡くなったら読んでくれ」と語った。 不意に父のこの言葉を思い出したとき、井上住職はすでに29歳になっていた。彼は母親に尋ねたが、母もこの手紙の存在については知らなかった。父が酒に酔った時の戯言だったのかと思わざるを得なかった。半信半疑で寺の隅々を探し回ったら、なんと本殿の屋根裏からその手紙を発見した。手紙には父親が「證大寺の念仏の法燈を絶やすな」としたためてあった。背いてはならない、親鸞聖人の教えは活きていた。このことがすべてであり、唯一の大切なことでもあった。

父の最後の手紙は井上住職を大きく揺さぶった。彼はかつて中国の『三国志』を愛読したが、その中に永く彼を引き留めて離さない故事があった。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」、だ。「死んだ諸葛亮が生きている仲達を驚かせて敗走させた。死者が生者を突き動かすことがある。このことは、私たちが会社を経営する時に先代の社長がどうしたかを思い出すようなものではないでしょうか。前の、前の、そのまた前の世代、最初の創始者が生きていた時はどうしただろうかと考えませんか。私が言いたいことは、故人に想いをはせることはとても重要なことだということです」と井上住職は語る。手紙は媒介のようなものになることができ、生者に死者と対話させることができる。

「周囲の人にあきらめろと言われたり、物事がうまくいかなくなった時、私たちはどこかに行きたくなったり、大切な人と話したくなったりしませんか。自分が故人と同じ道を歩いているのではと確信することがありませんか。これはまさしく私も考えていることで、お寺が求められる役割はまさにここにあるのです」。
墓地に、故人のために手紙を書く「手紙処」を造る考えは、こうして育まれ誕生したのです。井上住職はこのアイデアを建築家の押尾章治氏に伝え、彼をデザイン参画のために招聘した。2016年、「手紙処」は千葉県の船橋市にある昭和浄苑で落成した。

これは外観が極めてモダンな感覚を有する木造建築で、両側の壁は透明のガラス張りに代えられている。1階にはいくつかの椅子と茶卓があり、2階には長テーブルが1台、床まであるガラス窓に密着されており、テーブルの前に座っている人は静かに手紙を書くことができる。同時にガラス窓越しに墓地の全景を眺めることも可能だ。

生活テンポが速い昨今、毎年墓参する人は減少してきており、加えて不景気と少子化が加速化したことにより、家族の墓地の継承も問題になってきている。井上住職は、故人を供養する形を変えることは墓参りの意義を存続させる一つの方法かもしれないと考えている。「私からすれば、墓参はとても重要なものですが、実のところ誰もがこの形式で弔うことが必要という訳では決してありません。私たちがあの大切な人を思い出して何がしかを行う時、必ずしも合掌して祈るわけではありません。手紙を書く方法でも、亡き人と対話をすることもできるのです」と井上住職は言う。

このため井上住職は、手紙処で「手紙」を交わすことで、死者と生存者との間を繋ぐ、新しい祭儀方法の形を編み出したのだ。例えば、顧客は存命時に、生者のために残しておきたい証となる品物や手紙を「手紙箱」の中に入れ、寺院に預けて保管してもらうのだ。顧客が亡くなってから、寺院は「手紙箱」を「手紙寺郵便」を通じて死者が生前に指定した受取人に委ねるのだ。寺に訪れて墓参りがかなわない受取人は、「手紙寺郵便」を通じて手紙を書く方法で供養することができ、投函された手紙はお寺の方で焚き上げ彼岸に送る。この一連の方法も「手紙による墓参」と言われている。

これに伴ってやって来たのが、墓穴の改良で、「&(安堵)」の設計コンセプトと新しいアイデアはとても大胆なものだ。「安堵」の2文字には日本語でまさに「安心」の意味が込められている。墓碑全体の外観からでは、もはや伝統的な墓碑の形状や構図を見て取ることはできない。純白の大理石、頂部の石蓋は回して取り外すことができる。細長い円柱墓の内部はくりぬかれて空洞になっており、亡くなった方の遺骨を納め、円柱墓の外側には死者の姓名、享年と命日が刻み込まれる。この円柱墓の直径は20㎝、高さは120㎝で、容量は大きくないが、井上住職によると、「&安堵は2人だけの墓であるため」ということだ。

「日本では家族墓には戸籍上の身内だけが埋葬されることができ、代々家の長男が継承しています。しかし、離婚率が上昇し、家庭構造が変化するのに伴って、墓主名義の変更(亡くなった人から生存する継承者への変更)、管理費用、法事、相続税等を含めた、墓地に起因する高額の継承費用によって、多くの人がますます継承したがらなくなり、後継者不足の問題がますます深刻さを増しています。これ以外にも、戸籍上の関係のない2人は墓を購入できませんし、LGBTのカップルは一緒に合葬できない等の事例が起こっています」。

井上住職は、社会の変化に連れて、墓についての価値観も変わりつつあるが、合葬とは本来2人のための事柄であり、だれと一緒に葬られたいかの選択は本人の自由だと考えている。子供のいない夫妻、合法的な婚姻関係にない恋人、LGBTカップル、主人と愛するペット。井上住職が設計した「&(安堵)」は埋葬者の身分、国籍、宗教信仰に何の要求もしていない。この純白の円柱体の記念碑式の墓碑は、2人の遺骨だけを納骨し、埋葬される者には生前の予約、墓碑銘の刻字、寺院へ永代供養の申し込みを要求している。

少子化問題が日本社会に衝撃を与え、多くの人が日本は「墓なし社会」へと向かい始めていると指摘しているが、墓地は死者を埋葬する場所にすぎないと、どれだけの人が考えたことがあるだろうか。墓地が存在する真の意義と役割は何だろうか。井上住職は言う、「多くの人は死に直面した時に、この死という事実が自分にもたらす影響、得失、利害と弊害だけに注目します。しかし、実のところ、身内が別のもう一つの世界から静かに自分たちを応援してくれているのではとか、二度と会うことができない恋人が自分にどのような期待を持っていたかとか、私たちは考えたことはないでしょうか。人生が苦しい立場に陥る際は、いつも故人を供養する方法を通じて、自分にとって本当に必要なものが何なのかを私たちは真剣に考えるでしょう」。

Q:当時はどのようなきっかけで手紙処を設置することに思い至ったのですか。
A:手紙処は2年前に建てましたが、この考えは20年前にはすでにありました。私にこの考えを思い至らせた主なものは2つあります。まずは当時、私が恋人と別れたことです。人は交際する恋人を選択する時、往々にして自分と似た人を選択することがあります。そのため、交際する時に鏡を見るかのようにお互いに率直に相手に意見をぶつけてしまいました。当時の彼女は私にとってとても大切な人でした。10年後、20年後に彼女が私に与えてくれた貴重な人生訓を忘れたくはありませんでした。そのため、彼女に手紙を書くことに決めました。けれども、当時彼女の居場所がわからなかったために彼けれども彼女の手元に届けることはなく、手紙を通して彼女と語り合い、彼女から与えられた人生訓を見つめ直すこととなりました。
もう一つの件は父に関係することです。父が病にかかった時、私は病院に行く道すがら彼によく手紙を書きました。書いては父によく見せました。父が亡くなった後、多くの苦難が伴う人生をどう続けて行けばよいのか。そこでこれらをすべてノートに書きこみました。しかし、書くたびに私は冒頭に「お父さんへ。お父さん、僕はこのように思うんだけど、僕はどうしたらいいのですか」と書きました。
これら2つの事柄を通じて、私たちの人生には、手紙をやり取りすることで交流したいという、重要な時期がいつもいくつかあることに私は気付きました。しかし、現在皆さんの生活はとても忙しく、浄土といったものは見つからないようで、歩みを遅らせると自分が沈んで行ってしまうでしょう。ここの墓地はとても大きいので、私は人々がゆったりとした気持ちで手紙を書くことができる場所を創り出したいと考えました。生きている者が身内の墓地を見ながら、邪魔されることもなく身内と手紙によって対話できるようにです。

Q:当時、あなたがお寺を経営する時、どのような困難がありましたか。
A:経営面からだけで考えれば、手紙処といったこのような場所は建てられません。このようにみなに素晴らしいと感じさせ、快適で安心だと感じさせることができる場所を建てることは、そう生易しいことではありません。私はこのことのためにとても努力しました。どのように金もうけをするかについては、確かにメインとしては考えませんでした。
寺院の経営については、かつて私の身内のような人が助けてくれたことがあります。彼の手助けの下で、寺院の収益はとても良くなりましたが、収益が増加する過程で、寺院が次第に企業のように変わっていきました。この感覚によって私は嫌気がさし、長く続くうちに自分の寺から逃げ出したいとさえ思うようになり、亡くなった父に申し訳ないとさえ思うようになりました。いまは経営面では収益がそれほど良いとはいえませんが、父が見てくれれば、きっと喜んでくれて、私を責めることはないでしょう。

Q:手紙処の役割とデザインはおそらく皆さんも受入が可能でしょうが、安堵のデザインと伝統的な墓碑とのギャップはとても大きいです。デザインについて貴方と建築士はどのように考えられましたか。
A:私はいま結婚しました。妻は韓国人です。韓国人の墓は皆円形の構造伝統的なお墓は土まんじゅうのようになっており、なでたり抱きしめたりすることができます。私はかつて、墓参りをしている人が墓碑をさすりながら、「お父さん、お母さん、ありがとう」とつぶやくのを見たことがあります。見た時は驚きを覚えましたが、あたかも亡くなった身内が目の前に座っており、彼らと対話をしているかのようでした。私は見聞きしたものを建築士に話し、建築士にこのように抱きしめられる墓碑にしたいと伝えました。
その次に、日本では2人用の墓はとても少ないです。多くの人はお墓の購入は縁起が悪いと考えており、死ぬ間際になって墓地を買います。しかし、私は墓地を買うことは一種の愛の表れだと考えています。第一に、生前に準備しておけば、残されていく者の負担を軽減させることができます。次に、例えば夫婦が結婚した時は2人で、死後も2人で一緒にいたいと望んでいるか、または生前は一緒にいる機会がなくとも死後は一緒に埋葬されたいと希望するのであれば、このことは人生が再び始まるようなものです。そのため、私たちはデザインする時に、神聖さの感覚を突出させたいと考えました。色はすべて白一色にし、純潔の感覚を表し、2人が一緒にもう一つの新しい世界へと旅立つシンボルとしました。

Q:では、最初にデザインした時、どのように苦労されて皆さんにこの新しいお墓を認めてもらったのですか。
A:実はこのことは決して受動的に受け入れられたものではありません。マーケットの広告でも同様でした。愛し合う二人が死後に一緒に埋葬されて一つになると聞くと、多くの人々は大抵喜んでくださいます。ただ、この新型の墓碑が形状的に伝統的な日本の墓碑とは異なるために、やや保守的な人はやはり受け入れに難色を示されます。

Q:まだ受け入れられない人がいるのですか。
A:そうです。しかし、今では日本にいる外国人も増えて、出身国も違い、信仰する宗教も異なりますが、パートナーを大切にしたいという気持ちは同じです。例えば、お祝いするとか、願いを掛けるとか、こういった気持ちも変わらないのではないでしょうか。このことと宗教が異なるのは、それは人々のより深いところにある情感と表現です。私はこの墓がこうした情感を代表できると思っています。これは、どの国籍とも無関係であり、そのために私は外国人にも入ってもらいたいと思うし、あらゆる人を受け入れられるお墓になってほしいと思うのです。

Q:貴方が東京の中心——銀座にも手紙処を設立されたのを拝見しましたが、これはどのようなお考えからですか。
A:ご質問ありがとうございます。東京からここまでは少なくとも1時間半前後かかります。そのため、東京の出勤族が帰宅後に、ここに墓参りしに来ることはないと考えました。しかし、親愛な人を亡くしたばかりの人は、やはり毎日でもお会いされたいだろうと考え、東京の真ん中にあり、交通が最も便利な銀座を選んで事務所を構えました。また、私たちは小規模な「&(安堵)」も制作し、人々が遺骨の一部を分けて入れられるようにしました。
ここにお墓が立ち並ぶことになりましたが、人々が死後に結局どこに向かうか尋ねても誰もその答えは分かりません。以前、人々は菩薩様の所から答えを求めることができましたが、これは一種の死生観です。現在、皆さんには死生観がなくなりました。現世に多くを考える必要はなく、ちょっとした幸福がありさえすればこの世に決着を付けられますが、死後はどうでしょうか。そのために私たちは仏教を伝えるのです。多くの人々に仏教を信仰できるように、私たちは仏教人生大学を設立し、皆が自由に学びに来て信仰を持てるようにしました。私たちは仏教の学習会までも創設し、仏教の死生観を教えております。ここで墓参りされる皆さんは無料で参加できます。

Q:では住職のお考えでは、仏教の墓参り文化は現代人のライフスタイルの変化に合わせて変える必要があるということですか。
A:必要はないと思います。お寺はお寺、墓参りは墓参りであって、お坊さんというのはやはりそれほど忙しくない方がまあ良いのです。お坊さんだから仏教を説くというのは、単に好きだから、好きでないからというだけではありません。もう一つ別の考え方を持つというのも比較的に大切なことです。例えば、何事をするにも諦めてはなりません。私たちにはお寺の本分を超えたことをする必要はありません。けれども、やはり時代に即して前進していく必要はあります。

Q:外部の人から見ると、「手紙処」だろうと、「&(安堵)」であろうと、貴方は伝統を打破して新しい試みを作り出す、つまり新しい形の寺院の経営者のように思えます。しかし、貴方は墓参りという従来の伝統が守られることを望むと話されています。とすれば、結局のところ、ご自分としては伝統を保護する立場の人、伝統を破る側の人のどちらだとお考えですか。
A:このように深くまで理解して下さりありがとうございます。私たちはアジア人であり、アジア人は過去を学ぶことによって古いものから新しいものを作り出します。過去の事柄をよく学び、よく理解しないなら、私たちはよりよいものを創り出すことはできません。私が唯一確信できることは私の両親が大切にしてきたものであり、そこに必ずそれらの存在意義があるのです。祖先が大事にしてきたものを、私たちは深く理解する必要があり、その上にさらに時代の変化に即してこれらの方法を改め、徹底するのです。一つの物には原型はなく、私たちはそれが成功するかどうかについてさえ分かりません。私は人々がまだこのような考えを持っているのを見るとほっとします。このため、「何故まだ墓参りをしなければならないのか」、「亡くなった人の写真は家に残しておく必要はないだろう」といったこうした発言をを聞くと、私はこれは正しくなく、道義上ありえないことだと考えてしまいます。中国にも多くの、古い名家や老舗がありませんか。これも当然のことです。私たちが過去のことでも深く理解した時、今の方法を使ってそれを徹底すれば、古いものでも新しい光を発することができるのです。
Q:手紙処を利用する人は多いですか。効果はいかがですか。
A:ポストを作って、いくらか良いことがありました。最初に始めたころ4通の手紙が書き終わっていたものの署名がありませんでした。私は焚き上げる前に開いてこっそり読んだところ、その内1通の手紙には、「こんにちは。初めまして。私は某所で生まれ、某学校にを卒業し、某という仕事をしています。」と書かれていました。私は心の中でこれでは履歴書ではないかと感じました。もう1通には、私は今命に代えて、貴方がかつて大切にしたあの娘を愛します、と書かれていました。おそらく、この人の妻の前の夫が亡くなり、この男性がここで彼と対話をしていたのでしょう。私は、このような手紙はこの土地に建てたもの以上に価値があるものだと思います。皆が口に出せない、心の奥底にしまっている話をここでは1、2時間で表現することができるのです。
Q:安堵の利用率はいかがですか。
A:安堵は現在200基余りありますが、真に契約して利用している人はまだ40人で、多くはありません。
Q:これらを利用した人はどのような特徴がありますか。
A:先ず言えることは、子供のいない人が比較的多いことです。次に籍を入れていない(事実婚)の人です。日本では結婚して祖先の墓が自分の代まで代々受け継がれることがなければ、多くの人は墓地を買うことはありません。子供のいる夫婦に2人の埋葬では不都合が生じます。しかし、その他にも多くの理由もありますが、私たちには知る由もありません。
Q:初めて貴方が安堵を設計した時に反対意見はありませんでしたか。例えば、一寺院がなぜこのような類のことをしようとするのか、とか。
A:反対の声は大多数でした。理由については、お寺でこのような建築物を鋳造するのは前例がなく、人々はこれは何を作っているのか分からず、付近の墓地でも至るところ不安の声が溢れていました。また、お寺のこの場所になぜまた休憩所が必要なのかという意見もありました。この種の類の反対の声は始まった当初は多かったのですが、建設された後に最も喜んでくれたのはやはり近所のこうした地元の人々でした。暑い時には暑さを避ける場所となり、トイレを増設してからは利用するのがとても便利になりました。
Q:そのため、人々はやはり感謝の心を持って貴方のこの場所に来るようになった、と。このように理解しても良いですか。
A:私は以前に子供が父親に宛てた1通の手紙を読んだことがあります。そこには、「お父さん、お父さんが生きている時には貴方にありがとうの一言も発しませんでしたが、亡くなってから僕はずっと後悔しました。今、僕には好きな人ができました。彼女を父さんにとても紹介したいけど、それはかないません。いま僕はここにきて父さんに手紙を書きます。お父さんに一言、ありがとうと伝えるためです。今日は父さんの誕生日だよね、ありがとう」。
このような手紙を読むことができて、私はほっとしました。直接口にできる人は少なくないけれども、私はやはりこのように手紙を書くことができる場所があることは悪くないと思いました。ここで声を上げて泣き叫び、自らをさらけ出した人もいたと聞いています。話を始めに戻しますが、実のところ、このような場所を造るのは、始めは私自身が必要とするものを満足させるためだったのです。
Q:貴方のお話を伺っていると、意図するところは、お墓は先人を悼む性格のものというばかりではなく、まだ生きている人を治癒してくれる役割もあるということですか。
A:その通りです。人の心を治し癒してくれるばかりではなく、元気が出てもいいし、より一歩前に進んでも良いのです。ここはおそらく直接人の心に向き合える場所になり、私たちはここで心の窓を開くことができるでしょう。
Q:日本ではよく「供養」の2文字を耳にします。それでは、住職の目からご覧になって、最高級の供養とはどのようなものですか。
A:私は一人の僧侶です。私の目に見えるのは、供養が指すものは故人に別れを告げてはならないということです。私は両親に似ており、長所も短所もともに似ています。彼らは亡くなっても、私たちはとうの昔から一つになって生活していると私も感じるのです。私が悩んでいることを、彼らは誰よりもよく分かってくれます。何故なら彼らは私の身体の中、心の中にいるからです。私たちが一つに融合し、このように一緒に憂いを取り除いてくれるなら、どんな事柄でも「これで十分ですか」、「何が本当の幸福なのですか」といった類の問題として一緒に考えることができます。私は、彼らは私と対話しているのだと感じるでしょう。思っていれば、彼らはずっと私を支えてくれます。私はこのことを目標と見なします。実のところ、このようなことは場所を選ばずに、どこででも行うことができます。しかし、人々には往々にしてこうしたことを考える時間がないのです。そのために、私は良い供養というのは、亡くなった両親を遠く離れた存在にしておくのではなく、私たちは一緒にいるのだと絶えず心に刻むことだと考えます。そのため手紙を書くことが必要なのです。
Q:安堵の墓の価格帯は一般のお墓よりも、とても高いですが、これはどうしてですか。
A:1基の安堵墓の価格帯は100万円です。2人で入るとして計算しても、1人でも50万円になります。このように高額な理由については、私たちも土地を購入する必要があり、お清め用の井戸の掘削、初期コストはやむをえません。現在の安堵の価格は相対的に高いですが、今後は取引量が増えるにつれて、掘削するお墓の数量もますます増加するので、安堵の価格は最終的に下がるものと予想されます。私たちは、安堵をたくさん購入することは一種のライフスタイルを購入することであり、1つの墓だけに限りません。
現在お寺を経営している人は徐々に自信を失っていると思います。資金ぐりを維持したいなら、コンサルタントに委託したり、新たに墓地を造る必要のある人を探すべきです。とはいえ、最終的にはやはり皆が求めるところに戻るべきです。お寺はお寺としての風采を保ってほしいと皆が望んでいます。それは皆の予想を超えてお寺の本分以外のことをしてはならないということです。何をするかを考え、お寺の本分にも従うべきです。私は皆さんにお身内の方が亡くなってからここを訪れるのではなく、皆さんがまだお元気な時にもここに来て仏教に帰依し、自分の心の中の安らぎを得ていただきたいと思います。

【中国語原文】

https://www.cbnweek.com/articles/normal/22417