手紙寺證大寺からの最新ニュースをはじめ、イベント情報などをご案内します。" />

2018.10.01(月)

10月の法話

これからがこれまでを決める 藤代聰麿

私がこの言葉に出遇ったのは、京都の本山・東本願寺の東側、烏丸通に面したお堀沿いの芝生に掲示されてあった法語でした。

この言葉に出遇うまで私は「これまでがこれからを決める」のだと思っていました。例えば、学校のテストで良い点数がとれた時には、これまでしっかり勉強してきたから自分を誉めてあげたいと思ってみたり、逆に悪い点数だった時には、今回はあまり勉強しなかったから仕方ないかと自分を慰めてみたりと、このように、過去の行いによって今の結果があるという考え方で暮らしていました。もちろんその考えが間違っているわけではないと思いますし、人はだれしも失敗することもあり、後悔することもあるだろうと思います。過去を変えることも出来ません。金子大栄先生は「人生は、やり直すことができない。しかし、見直すことはできる」と述べられています。

悪かったことを適当な言い訳をつけてごまかしたり、またなにか外のせいにしてしまっていたなら、その過去は失敗したままの人生で終わってしまいます。テストで悪い点数だったことで、今までの自分のあり方を見直し、本気で勉強するようになって、良い点数が取れるようになったのであれば、その過去がかえって自分を気付かせてくれた大切な過去としていただけるのではないでしょうか。

「これからがこれまでを決める」というお言葉は、良いことも悪いことも、しっかりと自分にとって必要なことなのだと、自分の身に引き受けてこれからを生きるということだと思います。そのような「これから」の生き方によって、「これまで」後悔したことや失敗してきた過去の意味が変わってくるのだと思います。

親鸞聖人において言えば、比叡山での20年間の修行であったり、念仏の教えが弾圧され共に教えを聞いた仲間が斬首になったり、また自分自身も越後に流罪になったり数々の困難がありました。そのなかで仏道を歩むことに疑問や苦悩もあったのではないでしょうか。しかし、良いことも悪いこともしっかりと自分の事として受け入れ、人生を歩んでこられたのが親鸞聖人の生き方であったと思います。

私は生きている中で、都合の悪いことには目を逸らし、良いことだけを自分事にしているように思います。そうではなく、仏教の教えを聞き続けることを通して、どんなことも自分の人生にとって必要なことだと受けとめていくことが、本当の自分の人生を歩むということになるのではないかと思っています。

江戸川本坊 大坂尚輝